ようこそ京都混声合唱団へ



2025年3月16日(日)
京都コンサートホール(大)
京都混声合唱団
創立100周年記念演奏会
バッハ「マタイ受難曲」

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京混の歴史

京都混声合唱団は昭和の幕開けとほぼ同時期に誕生した、歴史ある合唱団です。最初は音楽の専門家による集団でしたが、戦争の混乱期を経てアマチュア合唱団として生まれ変わり、今に至ります。宗教曲の大曲を中心に歌う姿勢は変わりませんが、時代の変遷とともにさまざまな曲も歌ってきました。団員の胸に一貫して生き続けるのは音楽への愛情と、平和への尽きない祈りです。

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1925-19361937-19441945-19511952-19631964-19741975-19901991-20002001-20152015-

※本文中、諸先生・諸先輩の方々の敬称は省略しました。
※本文中、作曲者名・曲名などは当時の表記のままです。
※1975年以降の演奏会内容詳細については、コチラをごらんください。>>「演奏会記録」


★『京都混声合唱団六十年史』をweb上でお読みいただけます。
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①1925(大正14)年~1936(昭和11)年
専門家集団として産声をあげた京混

創立時のメンバー 【創立当時の中心メンバー】 稲畑登美子、吉田恒三、柳兼子、近藤義次、竹内禎子、上村いさを(けい)、加藤榮(千恵)ほか
【第1回発表会】
指揮=森本芳雄/ 曲目=モツアルト<第十二弥撒から「主よ御恵みを」>、メンデルスゾーン、シューベルト、ブラームスなどの合唱曲/ 会場=同志社講堂
【上記以外の演奏】
曲目=マスカアニ「歌劇カバレリア ルスチカーナ」より、シューマン「流浪の民」、バッハ「マタイ受難楽」より、パレストリーナ「ミサ ブレービス」、ヘンデル「メサイヤ」より、J.シュトラウス「碧きドナウの流れ」、ビゼエ「カルメン」より、など。/ 指揮者=森本芳雄、エフゲン・クレーン、土方(西邨)辰三郎など。

 1925年頃、京都在住の東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)第1期生や、同志社女子専門学部で音楽を教えていた柳兼子(柳宗悦夫人、日本声楽界の草分け)ら音楽の専門家の集まりの中で、「音楽らしい音楽を京都に」という声が高まっていきました。翌'26年、京都在住の「同声会」(東京音楽学校同窓会)メンバーと音楽愛好家たちによって混声合唱団が誕生しました。
 第1回発表会の開催は'27年11月19日。その後は、京都音楽協会後援による定期演奏会、大阪朝日新聞社社会事業団主催による「合唱の夕」をはじめ、同社主催によるいくつもの記念音楽祭に出演。NHK京都放送局でラジオ出演もしました。
なお'29年に指揮者に迎えたソ連出身のエフゲン・クレーンは、世界的舞踊家イサドラ・ダンカンの伴奏指揮をはじめ、ハルピンシンフォニー主任指揮者などを務めた人物です。これを機に宗教曲やオペラなどの大曲、難曲への取り組みが始まり、のちの京混の活動スタイルの基礎が築かれていきました。

     


②1937(昭和12)年~1944(昭和19)年
「敵性文化」排斥の嵐の中で

1937-1944 【当時の演奏】 曲目=べエトウベン「楽劇 橄欖山終曲 ハレルヤ」、ケルビーニ「レクイエム・ハ短調よりイントロイス、神の怒りの日」、信時潔「送別の歌」「いろは歌」「あかがり」、ドボルジャック「スタバト マトリ」より、ムソルグスキー「ボリスゴドノフより巡礼の歌」など。 指揮=エフゲン・クレーン、近藤義次、森本芳雄、竹内平吉、吉田恒三など。 【'43年「京都合唱報国団」による演奏会】 曲目=信時潔「海道東征」、ベートーベン「荘厳弥撒 ニ長調・作品123」 指揮=朝比奈隆

 '36年に起きた「二・二六事件」を契機に、ますます忍び寄る戦争の足音。音楽をはじめ、文化活動の軽視や締めつけも厳しさを増していきました。こうした中で当団と京都音楽連盟コーラス団が合同して「京都合唱団」を結成しました。
 '39年、第二次世界大戦勃発。'41年、太平洋戦争開戦。欧米音楽の演奏が排斥されていくなか、'43年には「京都合唱報国団」という名で演奏会を開催しました。やがて戦局は激しさを増し、メンバーも日を追って減少。やむなく自然休団となりました。

     


③1945(昭和20)年~1951(昭和26)年
戦後混乱期からの復興と二つの「初演」

1945-1951 【'40年代後半の主な活動】
●'46年=第1回関西合唱コンクール「混声の部」優勝(指揮=川端義雄/大阪朝日開館)
●'47年=演奏会(指揮=川端義雄/大毎会館<毎日新聞京都支局3階ホール>)
●その他=関西合唱連盟主催合唱祭(大阪朝日会館)、全京都合唱コンクール(堀川高校)、NHK京都ラジオ放送出演、京都音楽協会主催「故稲畑勝太郎氏追悼音楽会」(指揮=木下保/鴨沂高校講堂)、京都合唱連盟主催「合唱まつり」(指揮=上村けい/円山音楽堂)、「芸術文化祭前夜祭」(ハイドン「天地創造」指揮=森本芳雄、真美交響楽団/公楽会館)、京都合唱連盟主催「バッハ二百年祭記念・マタイ伝福音書による受難曲」(指揮=山田和男<一雄>、大阪放送交響楽団/同志社栄光館)

 '45年8月、敗戦。京都には街灯もなく、楽譜を印刷する紙の入手さえ困難な時代でしたが、徐々にメンバーを呼び戻し、早くも同年12月には活動を再開しました。
 翌'46年には「第1回関西合唱コンクール・混声の部」で優勝。'47年には戦後初めての演奏会を開催しました。また、この年に人文学園合唱団、京都市民合唱団と合同し、新生・京都混声合唱団として新たなスタートを切りました。
 '51年には、当団も加わった京都合唱連盟が関西交響楽団6月定演に参加。このとき演奏された「第九」は京都の合唱団による初演でした。同年8月には当団単独でフォーレの「レクイエム」を演奏。同作品の関西初演となり、NHK京都放送局によって全国に中継放送されました。
 創立時は音楽の専門教育を受けた者の集団だった京混でしたが、戦争中の団員減少により、推薦制度によるアマチュアの受け入れを始めていました。戦後は本格的にアマチュア合唱団としての組織づくりを始め、現在に至っています。

     


④1952(昭和27)年~1963(昭和38)年
合唱隆盛の波に乗って

1952-1963 【稲畑登美子
「京都文化団体懇話会受賞記念音楽会」】
曲目=稲畑登美子女史に贈る曲、花法師(近藤義次)作詞・網代栄三作曲「交声曲 春の日のファンタジー」
【その他の主な演奏】
●前半=ドヴォルザーク「スタバト マーテル」、ピゼッティー「レクイエム」、モーツアルト「ミサ ハ短調」、フォーレ「レクイエム」、清水脩「笛吹き八郎が亀を助けた話」「鼻長き僧の話」、松本民三「切支丹物語」、前田裕志(団員)「鴎・帆・ランプ」、大中恩「月と良寛」、ドビッシー「シャルル トルレアンの三つのシャンソン」、ヴェルディー「スタバト マーテル」など。
●後半=Mendelssohn「Drei Motetten」、モーツアルト「Missa Brevis」「Missa C-dur (戴冠ミサ)」、Victoriaほか「16世紀の教会音楽」、信時潔「女声合唱組曲 沙羅」「女人和歌連曲」、ミュージカル ハイライト(魅惑の宵、バリハイ、トゥナイトほか)、Bruch「Schon Ellen」、Hydn「Missa solemnis B-dur」、高田三郎「私の願い」など。

 永年にわたり当団を指導・指揮してきた森本芳雄が急逝し、'52年、青山政雄を指揮者に迎えました。戦後の経済復興が急速に進み、全国の合唱活動も盛んになってきました。歌声喫茶がブームとなったのもこの頃です。当団も意欲的に活動し、勤労者音楽祭、京都合唱連盟主催の合唱祭、円山音楽堂での土曜コンサートなどに出演しました。
 '63年には、京都楽壇育ての親ともいえる当団創立メンバー・稲畑登美子の「京都文化団体懇話会受賞記念音楽会」(京都音楽協会主催)に出演しました。

     


⑤1964(昭和39)年~1974(昭和49)年
邦人作品から16世紀シャンソン、バッハ、モーツァルトまで

1964-1974 【'70年代前半の演奏】
青山政雄採譜「合唱組曲・秋田地方ほかのわらべうたと民謡」、団伊玖磨「筑後川」、清水脩「焔の歌」、助川敏弥「白い世界」、ジャヌカン「シャンソン 鳥の歌」ほか、Victoria「15 Motettten」より、Mozart「Missa Solemnis in C, K-337」「Vesperae Solemnes de confessore, K-339」、バッハ「クリスマス オラトリオ」連続演奏会など。

 '52年から当団を指揮していた青山政雄が '63年に京都の地を離れることとなり、暫くは団員の牛丸紘一などの指揮によって演奏活動を続けていました。 '64年に京都府合唱連盟主催の第1回「合唱祭」が開催され、当団も出演。この合唱祭は今日まで毎年開催されています。
 また、'66年には元団員の伊吹新一を、'70年からは再び青山政雄を指揮者に迎えました。

     


⑥1975(昭和50)年~1990(平成2)年
創立記念演奏会にLPリリースも

1975-1990


 '75年には、創立50周年記念演奏会を開催。この演奏会に出演していただいた京都市交響楽団は、その後たびたび当団の演奏会にも出演していただきました。一方では、同交響楽団の演奏会に合唱パートとして出演する機会も与えられました。この演奏会で歌ったロシア民謡はテイチクレコードからLPとして発売されました。
 '82年には、京都音楽家クラブの藤堂顕一郎音楽褒賞基金から、第1回の表彰(団体)を受けました。'85年には創立60周年記念演奏会を開催。これを機に、団員の金子清明編纂による『京都混声合唱団60年史』を刊行しました。

     

⑦1991(平成3)年~2000(平成12)年
新たな指揮者を迎えてさらに意欲的な活動を展開

1991-2000

 '91年、蔵田裕行(現名誉指揮者)を常任指揮者に迎え、翌'92年、ハイドン「天地創造」を上演。'96年には、前年にオープンした京都コンサートホールで創立70周年記念演奏会を開き、ハイドン「オラトリオ 四季」を上演しました。同年には当団の永年の活動が認められ、京都新聞社から同社五大賞の一つ「社会賞」を受賞しました。2000年には創立75周年記念演奏会として、ヘンデル「メサイア」の演奏を行いました。

     


⑧2001(平成13)年~2015(平成27)年
宗教大曲、ピアノ伴奏定演、オペラへの参加も

2001-2015


 蔵田裕行を指揮者に迎えて以来、京都市立芸術大学音楽学部関係者の方々から、ますます大きなお力添えをいただくようになりました。'02年には同学部創立50周年を祝う特別演奏会として、同学部出身者(指揮者、ソリスト)ならびに卒業生、在校生と共に大曲のベートーベン「荘厳ミサ」を歌い上げました。'05年の創立80周年記念演奏会では難曲中の難曲、バッハ「ロ短調ミサ」に挑戦。'10年の85周年演奏会では28年ぶりにモーツァルト「レクイエム」を歌いました。
 小曲の構成による、ピアノ伴奏だけの定期演奏会にも取り組み始めました。宗教大曲路線、管弦楽との演奏ばかりを経験してきた当時のメンバーにとっては大きな冒険でもありましたが、細やかな指導を受けながら練習に励みました。
 また、この間に兵庫県養父市と和歌山県紀の川市への演奏旅行を行い、他県の団体との交流を深めました。「こうもり」「フィデリオ」と、演奏会形式を含めてオペラを歌ったことも新鮮な体験であったと同時に、プロの舞台づくりの厳しさを間近に見る貴重な経験となりました。'09~'11年は連続して京都フィルハーモニー室内合奏団の「第九」に参加。2013年には、びわこアーベントロート合唱団と共に大規模合同演奏会を開催し、メンデルスゾーンの大曲「エリヤ」に挑戦しました。
 '15年、24年間もの長期にわたり当団を指揮した蔵田裕行が退任、当団の歴史の中で最長の連続指導期間を務められたことに敬意を表し、同氏を初代の名誉指揮者としました。

     

⑨2015(平成27)年~現在
新生・京都混声

2015-


 '15年、小玉晃を新常任指揮者として迎え、新生京都混声として新たな歴史の1ページが始まりました。翌年の90周年記念演奏会ではブラームス「ドイツ・レクイエム」を京都混声の長い歴史の中で初めて演奏し、蔵田裕行指揮による70周年演奏会復刻特別ステージ、ハイドン「四季」の抜粋演奏とともに節目の年を成功裡に終えることができました。'17年には、近年の京都混声では行われなかった小アンサンブル・小ホールでの演奏会でバッハ「カンタータ 80,63,147」を、'18年にはびわこアーベントロート合唱団との合同演奏会でバッハ「マタイ受難曲」の演奏を行いました。
 その後、コロナ禍では95周年演奏会が中止となり実質的な団員数が10名にまで減少しましたが、'23年の三団合同演奏会「メサイア」を経て現在は以前の活気を取り戻しています。

 今後も様々な音楽に触れ、ますます学びを深めていこうと、団員一同意欲に燃えています。

     



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団員数は現在約70名。年齢層は20代から80代までと幅広く、職業も、ビジネスパーソン、教員、自営業、主婦に大学生と多彩です。練習場へは荒神口バス停から徒歩1分。練習は月4回金曜夜。オーディションはありません。
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